君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

【禅ログ】東京龍光寺@本駒込

【禅ログ】東京龍光寺@本駒込

 

今回は東京の龍光寺に座禅の体験をしてきました。

 

瞑想はしてきたものの座禅は今回が初。

 

日曜日の朝の8時からやっているとのことです。(ただし、スケジュールによってはやっていないこともあるので、必ず確認しておきましょう)

 

初回の場合は15分前に到着するようにとのことでした。

 

朝早く、お邪魔したお寺はしんとした空気でした。そのまま中に入ると中にはすでに禅をしている人がちらほら。余裕を持ちすぎて30分前についたのですが、それでも早めについて禅をしている人もいました。

 

初心者の人でもやりやすいよう説明書きのある紙が配布されます。座禅の座り方なども書いてありますので、やりやすいですね。

 

8時になる5分前には人がどんどん集まってきて、おそらく20名前後いました。30代、40代以上の方が多い印象ですが、僕と同年代くらいの人もちらほらと(ちなみに僕は29歳です)。

 

東京の中でも閑静な住宅街であり、周囲もすごく静かでお寺の厳粛な雰囲気を感じます。基本姿勢を崩さず、右足が左足のどちらかを太ももの上に乗せ座ります。

 

そこで腹式呼吸で前の一点を見ながら、25分×25分呼吸と目の前の一点に集中していく、というのが座禅の流れです。

 

前日友人と会って軽く飲んでいたのと朝早かったのがあり少し頭が痛く、軽い二日酔い状態。日常生活に支障がない範囲だと思っていましたが、座禅の場合は別。

 

呼吸に意識を向けるのがいつも苦手ではあるのですが、ものすごく意識がそれます。

 

気が付いたら、過去を振り返っていたり、警策で自分が叩かれないように考えてしまっていたり、何十回とそれたのでもう数えられないくらいでしたら、眠りに落ちることは何とか避け、終了しました。

 

ちなみに警策はお寺で禅をして、集中できていなかったり、身体が動いたりするとお坊さんが叩くイメージがあるあの棒のことです。

 

ちなみに龍光寺の場合自分で組んでいる手を上にして、合唱すると警策でたたいてくれます。僕はどのタイミングでやってもらえばいいのか迷ってしまい結局やってもらわずじまいでしたが、多分集中できていないなと自分で感じる場合はやってもらったほうがいいでしょう。

 

そんな感じで終了した後は皆さんで軽くお茶を飲みお話をして終了でした。

 

印象に残っているのは「同じ姿勢で本当に動かずにいられるのには3年かかる」

 

「一点を集中するというのは、バイクで高速道路をかっ飛ばす感覚に似ている」

 

動いていないつもりでも、身体は揺れていたりします。そして、一転をただ眺めるのではなく集中する、ということがすごくイメージできました。なかなかあっちこっちに集中がそれやすい僕ですが、少しずつやっていこうかな。

 

 

 

そんな感じで今回の座禅は終了しました。

 

僕みたいに失敗しないように、なるべく体調は万全に整えておくのがお勧めです。瞑想でもそうだと思うのですが、体調によって雑念をなかなかさばけないことがあります。

 

それでも、終わった後はさっぱりした感じがありましたし、頭がさえているような感覚になれました。

 

 

 

龍光寺

 

http://www.ryokoji.com/

 

座禅のスケジュールはこちら

 

http://www.ryokoji.com/info_zen.html

 

 

こちらの雑誌に禅のできるお寺も紹介されていますよ、参考までに。

 

 


 

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伝えたい想いが伝わらないあなたに

僕は口下手だ。

考えながら喋るということが得意じゃないし、まどろっこしい言い方をしてしまう癖がある。

頭の中で整理しきれなくて、話があっちこっちに言ってしまって、論点がわからなくなってしまったり、それで伝えたい想いがうまく伝えられなかったことが多々あった。

それも悩みのタネだったけれど、もっと頭を悩ませる問題があった。

「で、お前はどうしたいの?」

この問いかけである。この問いがすごく苦手だった。

この言葉だけはどれだけあれこれ伝えたいことを考えても伝わらなかった。

「いや、これはこう考えて、こうだと思ったんです」

苦労してあれやこれや言葉を尽くすけど、ほぼ絶対に納得はされない。

「本気でそれをやりたいと思っている?」

と聞かれると何も言えなくなってしまうのだ。ぐっと言葉に詰まってしまう。

かたや、言葉はうまくないのに、言葉に説得力があるという人もいた。僕もうまくはないけれどそれ以上に喋るのが、下手だ。

だけれど、その人には独特の説得力があった。不言実行というか、黙々と仕事をする。

「やれると思うか?」

「やれます」

上司とのやりとりは短い。だけど、その言葉に説得力があった。

これまでに同じような状況で対処できてきた、実績があって、その行動の積み重ねが実績として機能しているからだ。という人もいる。

それは確かに一理ある。ただそれだけなのかと言われると正直少し納得がいかなかった。だって誰もが最初からできていたわけじゃないし、その人だからできたなんて、僕にとってはなんの助けにもならなかった。

そんなときに出会ったのがこの本だった。

コピーライターであるこの本の作者がこの僕を見たら多分こういうのだろう。

「言葉にできていないとは、考えていないと同じことだ」

伝わらないのは口が下手だからでもなんでもない。言葉にできるほど十分に考えられていないだけだ。

言葉とは思考の上澄みにすぎないのだから。

「考える」という行動が足りていなかったのだ。

これまで20数年間悩んできたことを短い言葉でばさっと切られてしまった。

でも思い当たることはあったのだ。確かに「計画を立て類」はしていたけれど、僕は「誰がどうやって、そのことを実行するのか」、そんな単純なことを考えていなかった。

いや、考える気がなかったのだ。自分が実践するという心構えではなかったから。

だから言葉に力がないなんてはっきり言えばごくごく当たり前のことなのだ。



大事なことは論理的なことでも口が上手いことでもない。

言葉に重さがあることだ。



僕は今まで行動が伴っていないから、言葉に説得力が足りないと思っていた。要はそれを見てくれる人がいて、成り立っているのだと。

そうじゃないのだ。言葉になる前にどれだけ考えを巡らせているかが、言葉に力を持たせるのだ。



僕は「本当にそれがやりたいと思ってる?」

と聞かれて、どう答えるか迷った理由がここにきて見えてきた。

やりたいと自信を持って言えるほど考えつくされていなかったのだ。

考えるという行為は人に見られることはそんなにないかもしれない。でも僕の一瞬の迷いは自分の考えを自信を持って示せるほど、考えつくされていないことを示してしまう。



「どう論理的でわかりやすく伝わりやすい表現をするのか」

が伝わる言葉の条件だと思っていた。

とんでもない。どれも必要じゃないのだ。せいぜいあった方が良い、くらいのものでしかない。



自分の中で思考を重ねて、口にする言葉に重さと硬さを加えていくという思考を深めていく過程が足りなかったのだ。

この本は表現のノウハウ本ではない。

どうやって言葉に重さをもたせたらいいのかを方向性を示す本だ。

実践とトレーニングのための本だ。

コピーライターさんの書いた本だけれど、コピーライターの人だけが読む本ではないと思った。

文章や言葉を伝える仕事をする人だけのものでもない。

何気ない日常で僕のように言葉をうまく伝えられなくて、もどかしい思いをしている人のためにこの本はあると思った。

伝えたいものがうまく伝えられない、そんな人にどうやって考えるのか、方法を示してくれる。

具体的な答えはこの本にはない。「自分の言葉」を見つけられるのは「自分だけ」だからだ。

そうしたら、徐々にだけれど、「自分だから力を持つ言葉」が生まれるのだ。

こうやって考えると、伝わらないと悩んでいたとき本当に伝えようとしていたんだろうか? という疑問が湧いてくる。

悩んでいただけで伝えたいと本気で思っていなかったんではないだろうか?

今思えばそういう気もしてくる。言葉とは「自分の望みを伝える手段」なんだから。



「言葉にできる」は武器になる
梅田悟司 著

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日常でもできるマインドフルネス

歩く瞑想

聴覚に意識を向けるといろんな音がします。
遠くで走る車の音、すれ違う自転車の音、微かに聞こえる飛行機の音、風が吹く音。

多分他にももっといろんな音がします。自分の呼吸の音、本をめくる音。

不快な音だとか、いい音だなんて思う必要はないです。これまで感じられていないことに気づこうと

当たり前に今起きていることを僕はいつも忘れがちなので、意識してそれを感じることは大事なことだったりします。


歩く瞑想、足の感覚に集中する

足の感覚に集中して、足が離れた瞬間に「離れた」と認識する。
足がついた瞬間に「足がついた」と認識する。

足が動いている状態に意識が向くと、今日は足が上がらないなとか、自分自身の身体の変化にも気がついてきます。

僕の身体が疲れやすいだけかもしれません。
でもそうなだけでもないはずと、思っています。

それと、自分が熱中しやすいせいで身体の感覚に疎いからかもしれません。

だから、僕は意識してやらないとできないということもあるでしょう。

忘れがちになる身体の声を聞いてあげてみると新しい発見が、ありますよ。


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評価と事実はわけて捉えないと苦しいよ。

自己肯定感ってよく言われます。

自分のことを嫌いでいたり、好きになれなかったり、そう言う人も多いと思います。

自分を嫌いな人に急に自分を好きになれって言われても難しいです。

自分の嫌いなところをいっぱいあげてみろって言うと、たくさんあげられると思います。

じゃあ、自分の好きなところはって言うとあげるのに困るかもしれません。

そして、あげたものに対して「いや、それは大したことじゃないし」と言う人もいるでしょう。

「今日はゴミ出しちゃんとしたけど当たり前のことだよね」

とか、そういうことですね。

誰でもできるから大したことじゃないというのは「評価」です。

大事なのは「事実」を認識することです。

「ゴミ出し=大したことじゃない」は評価

「ゴミ出しやった」は事実です。

ちょっとくどいですが。



逆の場合もあります。

ネガティブであまり見たくないものも一緒です。

評価はせず、事実をきちんと見ましょう。

約束を破ったとか、時間を守らなかったとか。

見て見ぬ振りが1番良くないです。(昔よくやってたんですが)

プラスもマイナスもなくニュートラルに事実を捉えること。



自己肯定感を考える上で、このことに気づいていないと永遠に本質に近づけません。



その上で自分の思いや感じていることに耳を傾けてあげてください。

自分が感じているものを「事実」として認識してあげてください。



感じているもの、起きていることを「事実として受け入れる」



これがマインドフルネスでいう、「今、ここ」に意識を向けるということです。


自分が「好き」とか「嫌い」とかに引っ張られすぎず、いきましょうね!





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瞑想に失敗なし。あるとしたらそれは...。

瞑想を実践し始めて1月経ちました。じょーです。

瞑想をしていて、よくこういうことがあります。



全然集中できなかった。。。



パターンとしてはいろいろあります。



気がかりなことに足を引っ張られてしまった。

嫌なことを思い出して、そのままそっちに思考がいったままになってしまった。

気になるあの子のことを考えててそれどころじゃなかった。笑

終わった後にどうしようかに意識を向けてしまった。

身体の不調が気になった。



いろんなパターンがあります。



でも、それは失敗ではありません。

瞑想は脳のトレーニングです。

脳を今感じていることに集中させることはそれなりに難しいことなんです。



ぶっちゃけていえば2017年から始めて、気が全くそれていない瞑想は僕の中に一度たりともありません。

ちょっと悲しいですけれど、それでもいいんです。

もちろん今よりより良い状態でいることを目指すのは大事なことです。

でも、逆にそれさえできていれば失敗ではないんです。

うまくいかなくても気にする必要もないです。

なぜなら、「うまくいくかなぁ」なんて考えること自体が思考がそれている状態だからです。



だから、30分の瞑想に集中できなかったとしても失敗ではないです。

断言できます。

失敗するとしたら、ただ1つ。

「途中でやめること」です。



先ほども書いたように瞑想は「脳のトレーニング」です。



トレーニングで大事なのは継続することです。

途中で辞めたらそれまでの行動は全て台無しです。


できるなら実践してみてください。



でも、これは思考がそれているんじゃないの?

とかこれはどうなんだろうってことがあったら、メールをいただけたら嬉しいです。

誠心誠意対応します。

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まで。


目に見えないものを信じられないなら、逆に疑い抜けばいいんじゃないか。

マインドフルネスってうさんくさい。

心のことなんて目に見えないのにどうやってわかるの?

僕も間違いなくその中の1人でした。

自己啓発も宗教もスピリチュアルもそう。

目に見えないものを感じるなんてわからない。

そして自分を信じるなんて言われてもそれも目に見えないからわからない。

そんな感覚だったと思います。



信じる理由や根拠を挙げられない。

だから、逆に信じられない理由を挙げてみました。

挙がるようで大してないんですよね。

挙がっても決定的なのもないんですよね。



自分を信じるのも、他人を信じるのも同じこと。

絶対的に信じられる根拠なんてないんです。



はっきりいえば、あるって思い込んでるだけです。



だから信じるのに根拠なんていらないんですよね。

すごく極端にいえば。他人を信じるのはともかく自分を信じるのには根拠はいらない。

必要なのは「決める」こと。



どっちつかずでは、自分も相手も動けないし、結果も中途半端になるだけ。

盲目になれとは言えません。



今ある考えを全て見た上で、最善だと思う行動を決める。

決めるのが1番勇気がいるんです。

他の可能性を捨てることだから。



自分を信じれなくても、他人を信じれなくても、マインドフルネスを信じられなくてもいいんです。

僕としてはもちろん信じて欲しいんですけれど。

自分の感じたことに素直になれないと、マインドフルネスなんて役に立ちません。

半信半疑でやってみたとこで役に立ちません。

マインドフルネスに限った話じゃないですが。



とはいえ、やったことないものを100%信じろというのも無理がある話だと思います。目に見えないし。

だったら、信じようと決めてください。

逆に信じないと決めてください。


その結論が出るまで考え抜いてください。


迷って疑って、それでもそうすると決めたのなら、信じる努力をしてください。





でもそうやって決めたなら後悔しないですし、きっと気持ちが楽になるはずですよ。




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身近にあるマインドフルネスについて考えてみた。

ダンスと瞑想はつながっている気がする。

ダンスの2番目に大事なことだと思っているのは身体の感覚を理解することだからだ。

ちなみに1番はダンスそのものを楽しむことだ。

そのために身体の感覚に耳を傾ける。

ダイナミックに動くダンスをするのに必要なのは力じゃない。

いかに無駄な力を抜くかだ。

自分の身体のどこに力が入っているのか。

とはいえ、最初からわからない。

最初にダンスを教わったとき僕は30分でぐったりしていた。

めっちゃくちゃ汗をかいてヘトヘトだった。

でも、インストラクターの人はそんなに疲れていなかった。

最初は僕より桁違いの体力があるからだと思っていた。

でも違うんだと気づいた。いや、体力も僕よりあったかもしれないけど、そこまでものすごく違うわけじゃない。

身体の力の抜き方が上手いのだ。

同じことをやっていても身体の力が抜けているからそこまで疲れないのだ。

そして、もうひとつ違いが見えた。

力が抜けているのに、僕より大きく動いているように見えるんだ。

僕は大きく動こうとするとき、全身に力を入れていた。でもインストラクターの人は違った。

身体の体重や、回転したときの遠心力、反動を使うのが上手いのだ。

だからこそ、あんなにダイナミックな動きができるんだ。

そういうことに気がついた。

とはいえ、自分のどこに力が入っているのかなんて、簡単にはわからなかった。

肩に力が入っていると言われてもどういうことかわからないから動かし続けた。ヘトヘトになるまで。

当然あっという間に疲れる。

それでもやろうとしても力が入らなくなってきているので、そんな中でも動かそうとすると力を抜こうとするのだ。

ふっと、前より楽になる瞬間がある。

なのに、身体はそれまでよりよく動く。



マインドフルネスをはじめて、ボディスキャンっていうのはこれに近いものなのかもしれないと思った。

ボディスキャンは身体はダンスほど動かさない。

身体の感覚に耳を澄ませるだけだ。でも身体がどうなっているか感じるその過程は、僕がダンスをやっている時に感じたものとよく似ていた。

ボディスキャンはこちらを参考にしてくださいね。

http://www.yocheckya.net/entry/bodyscan-mindfulness



でもこれって身体を動かすスポーツ全般に言えることで。

マインドフルネスはだからこそ、身近に転がっているものなんじゃないかと思っている。

マインドフルネスって定義づけをしようとすると「いま、ここに意識を向けること」になる。言葉にするとイメージしづらい。

でも要はダンスを楽しむ、スポーツを楽しむ、そういったことだってマインドフルネスの一部だ。少なくとも入り口としては十分だと思った。

単純なのに、理解しづらいマインドフルネス、もう少し広まらないかなと思う今日この頃です。


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