君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

「書く」というナイフに魅せられて

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大学を卒業し社会人になったとき、「自分と周りの人たちを笑顔にするんだ」なんて理想を心の中では思い切りやってやるんだと息巻いていた。でも自分の身の程が大したことないのかもわかっていなかった。

社会は自分の器の大きさよりも圧倒的な大きさで僕を引きずり回した。あっという間に忙しくなり、その理想は机上のものになった。やりたいことをやろうということがどれほど滑稽なことかと思った。

マンガ『ドラゴンボール』で強くなったと思ってフリーザに戦いを挑んだものの、圧倒的な力でボコボコにされるベジータみたいに絶望した。社会がそれほど圧倒的な力を持っているなんて知らなかった。

そして、自分の身の程を思い知ったのはたぶん僕だけではなかったんだと思う。当時の会社の同期も、大学の友人も、夢を語っていた友人がどんどん地に足をつけて、諦めて今の仕事を受け入れているのを見てきた。

その様子に僕はもやもやした。本来僕にもやもやする資格はない。僕自身もその現実に叩きのめされたのだから。でももやもやせずにいられなかった。それでもと自分の中の何かがささやき続けていた。

 

「お前は何がしたいんだ?」

 

ある先輩に問いただされたときに何も言えなかった。やりたいこと? とっさに何も出てこなかった。僕の疑問はこのとき膨れ上がった。

 

そうして僕は会社を辞めた。この仕事は「やりたいことじゃなかった」と思ったからだ。でも、何がしたいんだろう? この疑問に対して、僕自身もよくわからなくなっていた。その過程で僕はライティングゼミに入った。「人生を変える」という文言に魅せられたわけじゃなかった。ただ「書く」ということに引き付けられる自分がいた。mixiが好きだった時のことをなんとなく思い出して、興味がわいてきたのだ。もしかしたら、これがやりたいことかもしれない。僕はなんとなくの期待をライティングゼミにしていた。

 

自分の胸の中にある思いを人に伝えようとするのは楽しかった。感じたことに感想をもらえることもあった。それがうれしくて仕方なかった。

 

あるときから、徐々に書くことが苦しくなった。毎週の課題は自由で自分の好きに決められる。でも、毎週だし続け、書いた数も10を超えてきて、書くことに困るようになった。課題にも落ちる回数が増えた。

 

「書きたい」と思っているのになぜ苦しいんだろう? 

 

そう思うともう一つ疑問が浮かんできた。あれだけmixiで楽しんでいた僕がなぜ「書く」ということを志望することすらしなかったのだろう?

 

「書くのは楽しいけれど、それを仕事にして書けるとは思わなかったんだよね」

 

過去の自分は就活の真っただ中、友達にそういった。あれは確か大学3年の就活はじめたての頃だ。なんでだ。やりもしていないくせになんでそうおもったんだ? そう過去の自分に問いただす。そのときには自分にそのことを問いかけようとしなかった。でも今は問いたださずにいられない。

 

過去の自分はそのときへらへらと笑ってそういっていた。それから先就活に苦しむことになるとも知らずになんとかなるとそう思っていた。でも、今度は逃がさない。問い詰めると、過去の自分が恐る恐る口を開いた。

 

「誰かに批判されるのが怖かった」

 

「楽しい」と思っていたくせにそもそも挑戦しようともしなかったのだ。「自分と周りの人を笑顔にする」なんて理想を掲げているのにそもそも自分が楽しいと思うことにふたをしていた。自分の弱さに負けて逃げ出していた。そして、さらに悪いのはその自分を覆い隠そうとした。

 

夢を追い諦めて現実を受け入れる同期たちをみてなんでもやもやするのかそのときようやくわかった。うらやましかったのだ。やりたいことをやって挑戦をしたことに。その一方でスタートラインに立とうとすらしなかった自分に歯がゆさを感じていたのだ。

 

そうすると、書きにくくなったのも納得がいく。自分の見せたくないものを巧妙に無自覚にごまかそうとする自分がいたからだ。

 

「書く」という行為がそのときナイフのように鋭く光っていた。隠したものに切り込んでその本心を引きずり出した。

 

怖い! 書きたくない! 見せたくない! と心が叫んでいる。

 

「こんな嫌なものを見せたらきっとみんな嫌な顔をするから!」

 

その怖さも本心だ。でも僕はその思いが自分の「やりたいこと」にふたをしていた元凶だということに気づいてしまったのだ。

 

怖い。でもここで書くのを止めてしまったら、「やりたい」自分のことを殺してしまう。ナイフをすっと引き、隠そうとした先の言葉を引きずり出した。

 

痛い、でもどこかすーっとしている。もうやりたくないとささやく声もする。なのにそうやってこれまで気づいていなかったものを暴き出すことに快感があった。そして、それを見せることに快感もあった。

 

弱さをさらけ出したら、気持ちが楽になった。無意識にあったその怖さが何だったのかも書き出してみたら少しずつ見えてきた。

 

僕は人に必要とされることに飢えていたのだ。だから僕と似た「人見知りで人と関わるのが苦手だけど、自分を変えたくて動こうとしている人間」を見つけるのがそう言う人を見つけては本人の意見を聞き、望みをどう形にするのか、相談するのが好きだった。書くことで自分と似た境遇の人間の背中を押せたときに、満たされた気持ちになっていたのだ。

 

 

 

就職活動のときに気づかなかった僕の「望み」と「恐怖」は「書く」というナイフが暴き出してくれた。そのナイフがなかったら僕はきっと今でも無自覚にやりたいことから逃げて、逃げて逃げまくっていただろう。

 

無意識にある恐怖はまだ僕の中にある。本音を隠そうとして、書こうとする手を妨害する。でも最近ではその弱さに気づくと楽しくなってしまうのだ。痛みもあるけれど喜びもある。これまで見えていなかった自分を見せてくれる。そのことを教えてくれるこの行為にすっかり魅せられてしまっているのだ。

 

もし、あなたが僕と同じように、自分の弱さを越えたいと思うのなら、「書く」ということをしてみてほしいと思う。「書く」というナイフがあなたの本心を暴きたくてうずうずしているかもしれないから。