君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

正しさより、迷いを。迷いから勇気を。そうやって進めばいいじゃないか。

「そんなこと言って、お前はどうなんだ?」

そう水面に映る自分に問いかけられた気がした。

僕は川の前で自転車を止めて、自分自身に問いかける。

僕の姿は流れに合わせてゆらゆら揺れる。

はっきりしないその曖昧さが逆に考え事をするのにちょうどよかった。

「正論」は正しくて苦しい。

ブログを書きだして、試行錯誤する日々だった。

こうやって発信していることは思っていることではある。でも、感じていることじゃない。

ブログを書き始めると、「必要な情報」を発信しなきゃと思う気持ちに捕らわれる。

当たり前のことのはずのその行為が苦しかった。

「必要」じゃなきゃ発信できないと考えれば考えるほど、書くのが苦しい。

僕の気持ちを置いてけぼりにして、時間はどんどん過ぎていく。

更新が滞りがちになる。



「行動しろっていうけれど、それがどれだけ大変かわかっているのか」

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僕はブログの中で確かにこう主張している。

間違っているとは思っていない。

行動することに疲れてしまうこともあることも知っている。

目に見えないだけでたくさんの行動をしている人がいるのもわかる。

特に自分と同じような自閉症の特性を持っているのだとしたら、なおさらそうだと思う。

周りが思う「そんなこと当たり前」だと思われる行動の手前で躓いているから周りからは見えないだけで。





だから、考えることも辞めてしまって、誰かに委ねたくなることもある。

動けば誰かに怒られる。それか邪魔者扱いされて、動くことすら否定されることもある。

「言いなり」で生きていけたらいいのに、それじゃ生きていくことすら難しい人もいる。

行動できるための自分の居場所を見つけることすら見つけられずに苦しんでいる人もいる。



そうかと思えば、その居場所で自分の居場所を見つけて、自分の問題を周りの協力で乗り越えられている人もいる。



それは間違いなく、その人が努力したからだと思う。

でも、努力したから必ずうまくいく、なんて僕には言えない。そうなっていなくて苦しんでいる人がいるのも知っている。

「鏡に映る幻想かもしれない理想を信じろっていうのか、お前は?」

お前はいいよな。それでこれから頑張れる環境を見つけることができたんだから。

そうかもしれない。そう思っていた自分は確かにいた。

「行動したからだよ」と答えるのは簡単だけど、それで昔の自分が納得することはないこともよくわかっている。





「別に今の僕と昔の僕に差なんてないよ。ただ行動しなかったら何も変わらない」

やったからってうまくいくとは限らない。そのことを昔の僕でもよくわかっていた。それを100回やっても10000回やっても結果は同じ可能性もある。それでも、諦めて動かなかったら可能性は0だ。

「そんなことを言って誰かが助けてくれるかもしれないだろう?」

昔の僕は、自分がこれだけ頑張っているのだから誰かが助けてくれると思っていた。はたから見ると、それがレベルが低いことであったとしても。

もう、自分で乗り越えることを諦めていた。だから誰かが救いの手を差し伸べてくれて、自分を救い出してくれると思っていた。そう思わないと心が持ちそうになかった。



「お前は何にもできないな」

そう言われる中でも、気づいてくれる人はいるんじゃないかと思いたかった。

でも「助けて」って自分から言うことはできなかった。

誰かに迷惑をかけてしまうことが怖かったから。

掛けた迷惑に対して返せるものがないと思っていたから。



でも、自分から動く人間に対してしか手は差し伸べてはもらえないのだ。

だから勇気を出して、自分から発信して、少しずつでも何かできることはないか探して、結局どれだけ拙くともそうしていくしか「自分の居場所」を作ることはできない。

それもこの5年で痛感したことだ。


「ちょびっとの成功」の積み重ねが未来を作る。

「そうはいうけどさ、怖くないのか」

水面に映る僕は試すように笑う。

正直に言うなら怖い。

期待を裏切るのが怖い。今でも。

動かない方が楽じゃないかと思いたくなる自分がいる。

もう全部何もかも投げ出して辞めちゃえよ。そう囁く僕もいる。

前の僕と怖い気持ちそのものは何も変わらない。

「勇気は奮い立たせているんだよ。今でも」

「発信するのも怖い。誰かに批判されるのも怖い。

前みたいに自分のした行動で周りに迷惑をかけるかもしれない。

がっかりさせるかもしれない。めちゃくちゃ怒られるかもしれない」

本心でいえば、欲しいことのためにやらなければいけないことがある、そのことが怖くてしょうがない。

がっかりさせたときの顔。ため息、それは僕自身の自己評価が積もった結果なのかもしれない。

何度も何度も見てきたその結果は、「自分が役に立てていない」という気持ちが作り出したものなのかもしれない。

ここのブログでは自分の意見をなるべくはっきり主張するようにしているけれども、それが思った以上にエネルギーの必要なことなんだと知った。



ただ、大事なことはシンプルだ。ここまで来たら選択は2種類しかない

「だから諦めるのか」

「それでも進むのか」

そのどちらかだ。そのどちらかなら取るべき道はもう決めている。

「その先にあるものが欲しいんだ。どうしても」

「それがあるってどうして信じられる? ここにいる僕みたいに触れない幻のようなものかもしれないのに」

水面にいる僕が笑う。その通りだと思う。

手を出したら、溺れてしまうだけなのかもしれない。

100回失敗しても、これからもしていくとしても、足を踏み出すのがちょっとだけ怖くなくなったとしたら。



でも、手を出したらちょっぴりだけ幻だと思っていたものに手が届いたことがある。

その体験をしたことがあるかどうか。それだけの違いだ。

ちょっとだけ、未来に希望が持てただけの話だ。

学校のマラソンで苦しくなっていたときに、女子からちょっと応援してもらっただけで元気になってしまうような。そんな、現金さに似ている。



だからこそ過去の自分が行動しなかったことを責める気持ちにはなれなかった。

「今の自分があるのは行動したからだ」なんていうのはおこがましいと思う。



厳密にいうなら「助けてって言ったら、僕を助けてくれる人がいた」というのが正しいんだと思う。

だからその代わりにどうやったら僕が君を助けられるのか考えてみているだけだ。

僕が欲しいのは信用だ。わがままだ。



「君と同じ苦しさを抱えているのは君一人じゃない」

「君と同じ苦しさを乗り越えている人はたくさんいる」

これは動いてみるまでわからなかった。発信してみてはじめて自分が抱えているのと同じ悩みを抱えている人がいるのを知ったし、今までそうじゃないと思っていた人も、実は苦しんでいたということを知った。


結局「勇気」があればちょっと踏み出すくらいはできる

僕はこのブログに物語探検隊と名前を付けた。

物語は主人公がどれだけ失敗したとしても、最後に成長して奇跡を起こすから面白いし、心を動かされる。

スラムダンクで桜木花道が最後まであきらめないように。

僕はまだ人生の挫折を経て、再浮上を図る途中だ。そこで諦めれば、打ち切りの連載みたいに中途半端になってしまうだけだ。だからそこで挫折したままの物語の主人公ではいたくないし、認めたくない。それは僕のわがままだ。けれど、大事なわがままだ。



今怖くて踏み出せないあなたに、を変えるのはほんのちょっとの行動だ。

そして、そのために必要なのは踏み出す勇気だ。

「苦しんでいるのは君だけじゃない」

そう発信することだ。

だから僕自身が踏み出す勇気を発信し続けたい。

失敗してしまうかもしれないことが今でも怖いけれど。

辞めたくなる自分と、踏み出す自分の葛藤の中で前進する物語。

小さな前進を積み重ねて、大きな物語になるように。



今は僕自身の物語を書いていくけれど、そう遠くないうちに色んな人の一歩を踏み出すきっかけや物語を書いていきたい。



僕は迷ったときによく川を眺める。

流れる水の音か、ぼんやりと映し出される自分と周りの景色なのか。

それを眺めていると、自分の気持ちが整理されてくる気がする。

なんとなくだけれどね。