君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

自分の弱さと向き合うにはエネルギーがいるよね?

ライターの城です。

 

マインドフルネスでも、アドラー哲学でも自分の弱さと向き合いそのことを認識することはその実践のための入口だと思います。

 

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ただそれは入口でありながら物凄いハードルの高さだと言うことも感じます。

 

特に社会に出て仕事をバリバリしている人ほどその難しさを感じずに入られません。

 

日々生活のため、守るもののために好きでないことをやり続けるってとんでもないエネルギーを使うと思います。

 

残業なんてすればなおさらそう。自分を大事にしなきゃなんてとても言っていられません。寝る時間のために食べる時間が惜しい。ただでさえ疲れている中にさらに自分のダメなとこを自分の意思で掘り起こすって、あの頃だったら絶対やりたがらないです。

 

僕何度か書きましたが、仕事がうまく言ってなくて苦しくて、根本的に見つめ直したいと思っていてもきつかった。上司に左遷の警告を受けても、その危機感こそあっても、ちゃんと考えなきゃいけないのは重々分かっていたけれど、どうしたらいいのかは思考に霞がかかったままだった。

 

しかも、それよりも不満のはけ口を発散させるために飲んだりカラオケしたりする時間がほしかった。

 

大きな流れに逆らわなきゃという焦りはそれよりも圧倒的に強いもう流されてしまえよという投げやりさに負けた。

 

かすかに眠っていた欲望は

 

「幸せになりたい、いまのままではいけない」

 

そんな声はたやすく流されてもういいやと投げやりになった。

 

こうやって結局会社を辞めてフラフラしていた自分だから今思います。この流れに飲まれてなお自分の意志で止まるのがいかに大変かと。

 

身体、心の疲労を回復させて腰を据えて自分と向き合う時間があって本当に良かったと。その時間や休息を作るのが大変な人だっていると思います。

 

できるわけないだろって思う人もいると思います。そういう人ほど、向き合うということをしないと怖いと思うんです。

 

僕は確かに社会からはドロップアウトしたのかもしれません。会社を辞めて辛い思いもしなかったわけではありません。それでも辞める前より確実に充実しています。それが良かったと言い切れます。

 

それは辞めるという決断をしなければ、何も変えられないまま流され続け、幸せになれやしないと何もしないままグチグチしていただけだろうと思うからです。もちろん絶対とは言いませんが、当時の心境を考えるとかなりの確率でそうだと思います。

 

会社をやめろとは言わないけれど、心と身体の余裕がない限りきちんと自分と向き合った決断は難しいんじゃないかと思うのです。

 

常識とか、会社の雰囲気とかより自分にとってはあなた自身の方が大事なはずです。自分勝手にするという意味ではなくね。

 

だから、身体も心もきちんと休めてくださいね。