【瞑想記録】心にクッションを求めて
「どうするんだよ! これ!」
相手の怒号が電話越しに聞こえる。
「えっ……。少し待ってもらえますか?」
しどろもどろになりながら僕は答えた。いきなりのことでなんの案も出てこない。
「そんな時間はないから、いますぐ答えろ!」
「わかりました!じゃあ、一度それで進めてください」
あとから考えれば、何故そう答えたのか僕はよく答えられない。社会人としてこの対応が悪手であることは何より僕自身わかりきっているのに。
案の定問題になって僕の仕事を増やした。クレームも起きた。
「なんで、こんなことを勝手に判断したんだ!」
そう上司から怒号がとぶ。起こっている理由は明白だった。でも僕はその質問に答えられなかった。
なんでなんだろう? それは僕自身にとっての疑問でもあった。だって悪手なのはその時の自分にもよくわかっていたはずなのに。
自分で判断できないことなのはわかったのだ。上司やお客様の確認が必要だった。
なのに、その場ではそのことに頭がいかなかった。
焦っていたから。職人が怖かったから。時間が差し迫っていて、自分が迷えば迷うほど相手を苛立たせるのがわかっていたから。
僕はその場限りの怖さに頭の全てを持っていかれていた。
「すいませんでした。以後気をつけます」
だけど、そのあとも解決されなかった。
僕自身、理屈でそうなのはわかりきっていたし、理解もしているはずだったのに、改善の芽は出そうになかった。
「なんで言われたことができないんだ!」
上司の怒号は止まらない。僕自身何故なのかよく分からず、戸惑った。
思考にモヤがかかったように考えがまとまらなくなる。必要な情報を冷静に集めて出した結論のはずなのにもれがある。
この繰り返しは僕から自信を奪った。
自分の言葉に僕自身が責任を持てなくなっていた。
最終的に退職し、そこから路頭に迷い出した。
瞑想をはじめて、そろそろ2ヶ月が経った。
なぜ僕が瞑想をしているのか?
そう聞かれた時には、このときのことを思い出す。
僕はやるべきことに追われていた。
やりたいことも二の次だった。
その結果大事なものを落としてきたことに気づいていなかった。
いや、多分最初から見ていなかった。
「やりたいことはなんですか?」
就職活動で聞かれ考える。僕も僕に似た人もも考えることを余儀なくされ、答えを探し出す。
でも、そこで悩んで考え出した姿は
「僕のあるべき姿」だった。
やりたいことではなかった。全然関係なかった。
そして、やりたいことは何か、考えているようで少しも考えていなかったことに気づいた。
だから僕はマインドフルネスに興味を持ち、瞑想を始めた。
「いま、ここ」に意識を集中させることで、見えてくるものがあると思ったから。
そうして始めた瞑想が3ヶ月目に入った。
たまにやれなかったり、めんどくさがっていたりもするけれど、それでも最低でも、呼吸にだけは意識を合わせるようにしている。
何か変わったのか?
そう聞かれると僕の答えは、
「心のクッションに綿を詰まってきている感じがする」
と言う感じがする。
楽しいことを楽しいこととしてきちんとすくい上げて!怖いことを見てみないふりして拾い忘れないように。
昔、それは直視するのが怖くて仕方がないものだった。
今でも怖くないわけじゃない。でも、感情もクッションで包んであげて、少し余裕をもたせて見ているようなイメージで捉えるようになった。
正しいのかなんて分からない。
でも、心が感じているものを素直に受け取れるクッションができたということが、きっと僕の成果だ。
それでもいいんじゃないかなと思っている。