君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

【天狼院記事更新】海は僕の中の欲望を映し出す。

手ごたえはなかったけれど、それでもいいのかな?

僕が所属している天狼院書店のライティングゼミで記事を掲載していただきました。

海は僕の中の欲望を映し出す。《プロフェッショナル・ゼミ》 - 天狼院書店

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正直に言うとこの記事は掲載されないと思っていました。

「書ききれなかった」、そう思いました。時間がなかったとか、そういうことではありません。自分の表現したいことを表現しきれなかった。どう表現したらいいかわからなくなった。

この記事の中で「書く」ことをスキューバダイビングに例えていますが、本当に溺れているんじゃないかというくらい苦しかった。

いつもは苦しかったなりに書けた「手ごたえ」みたいなものを感じるのですが、この記事については全くそれがなかった。自分の気持ちがぐちゃぐちゃして追いつかない。書き終わったときに悔しかった。

だから、三浦さんから「感動した!」とコメントをいただいたときに嬉しかったというよりは驚いたというのが本音でした。キツネにつままれたとはこのことで。

三浦さんが「面白くないもの」を「面白い」とは口が裂けても言わない人です。だとしたら、僕が気づいていない面白さがあったんだ、ということなんだと思いました。


だから、掲載されたものを読み返しました。この記事を書いたときから1週間経ち、少しは冷静に見られると思ったからです。

僕が気になっていたところは僕が思っていたより気になりませんでした。

むしろ、自分の気持ちをくみ取りながら潜っていっている、自分が考えた以上に深いところを表現できている。そんな風に思いました。


手ごたえより大事なものは「読み手に響いたかどうか」

ほぼ日の対談で糸井さんといきものがかりの水野さんの対談の中でこんなことが書いてありました。

いきものがかりの水野さんが「ありがとう」っていう歌の歌詞を書いたときには正直全く自信がなかった。だからヒットしていてもまだ「これでいいんだろうか」みたいな思いがあったそうです。。

でも、お店の中でその歌が流れているときに「わたし、この歌好き」と言いながら、この歌について話し始めているのを見たときに意識が変わったのだと言います。。

この夫婦の日常の会話のきっかけになったことを「僕の手ごたえなんかより、こっちの方がはるかに尊いぞ」と感じて「この歌はいい歌です」と言えるようになったそうです。

はじめに読んだときにはピンときませんでした。理解しきれないけれど、すごいことが書いてあるということだけ感じました。

今は少し理解できる気がします。完全に理解できたとはまだ思わないんですが。

書き手のこだわりとか手ごたえとかって、書き手としてはすごく大事にしなきゃいけないけれど(じゃないと書くなんてできないから)、そんなことは読み手には本当に少しも関係ないんだなと。

当たり前のことのようで、書き手にとってはすごく難しいことで。だから書くのは楽しいのかもしれないですね。

海は僕の中の欲望を映し出す。《プロフェッショナル・ゼミ》 - 天狼院書店