まどか☆マギカの叛逆の物語は「嫌われる勇気」の話だと思う。
臆病で前向きなライターじょーです。
しばらく前にまどか☆マギカの記事を書きました。
その記事についてはこちらを参照
アニメだと馬鹿にすることなかれ。
魔法少女ものはちょっと……。という人も見てみて欲しいです。
後悔はしないです。
それはそうとして、その続編の反逆の物語を見ました。
作品としての純粋な完成度は前回のほうが高いかもしれません。
悪く言えば粗削りという印象もあります。
ですが、そこには物語のまどかともう一人キーになる暁美ほむらにとっては絶対望まれたエンディングではないはずです。
そこに納得はしていなかった。その事実は覆したかった。
多分そうなんじゃないかなと感じます。
そう思うと、見終わったときに凄く「残る」物がありました。
暁美ほむらの望みはこの物語の中では決してきれいじゃない。
ただ望みのためにそうするしかなかった。
この物語は「ほむらが幸せを目指す物語」です。
そうやって解釈してみると、アドラー心理学の考え方に近いと感じました。
そう感じた理由をまとめてみました。
暁美ほむらは 自分と他者の「課題の分離」をしている。
暁美ほむらは自分のしたある決断に対して「周囲の理解」を得られないことを承知しています。
美樹さやかとは最後明らかに対立しています。
それでもほむらにとっては問題ではなかったはずです。
ほむらは「鹿目まどかの幸せ」のために美樹さやかやほかの人間と敵対することを決断しました。
これはアドラーの「課題の分離」をよく示していると思います。
「鹿目まどかの幸せ」=「暁美ほむらの幸せ」だった。
一見するとほむらの行為は自己中心的に見えます。「鹿目まどかと一緒にいたい」という自分本位な願いをかなえようとしたように見えます。
でも多分それは違くて、ほむらの一番の望みは「鹿目まどかの幸せ」なのではないでしょうか。
それが自分の幸せとつながっていると彼女は考えているように思います。
まどかの決断はある種「状況からやむをえないもの」でした。
まどか自身本心では怖かったのかもしれません。そういう部分も垣間見えます。
まどかの決断はある種周囲の状況からベストのだと思う行動をして、「円環の理」を作り出しました。
これはまどかの100%の幸せなのかと考えると、ほむらが考えるように少し疑問が残るような気がします。
そうすると、彼女の幸せを奪う「円環の理」はほむらにとってどう考えても邪魔です。
それがまどかの賛成を得られるとは限らないことをほむらは承知していると思います。
まどかはそれで自分が魔法少女を救えなくなることを是とするのかも疑問です。
ほむらは「魔法少女が完全に救われる」ことより、「鹿目まどかが幸せになる」ことがのほむらの幸せには必要だったと思います。
ある意味でほむらの幸せはまどかに依存しているとも言えるかもしれませんが。
これは他の人間からしたら多くの人間にとって「悪」の行為です。
ですが、ほむらにとっては関係ないはずです。
ただ「円環の理」からまどかを分離させることはほむらの幸せにとってどうしても必要だったとも思うのです。
これも他者の承認より、自分の幸せを決めるという点でアドラーの考えを踏まえているように思います。
だから物語としては美しくなくても、暁美ほむらの「ハッピーエンド」は作中のエンドに体現されていると思います。
万人の幸せを考えると自分を犠牲にしてしまいかねない。
鹿目まどかの決断を考えるとそういう部分が垣間見えます。
仮に暁美ほむらが大人しくしていたら、彼女の幸せは損なわれてしまったのではないかと思います。
僕は暁美ほむらの行動の善悪については特に考えていません。
ただ彼女の幸せのためにベストだと思う決断をしたのではと思っています。それが誰かに嫌われることになったとしても、「嫌われる勇気」をもっていたからではないかなと思います。
暁美ほむらの決断は「嫌われる勇気」をもって「自分を大切にする」ということを教えてくれている、そんな物語のように思えました。
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