君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

発達障害の生き辛さは承知だけど、それでも幸せになるには行動するしかないんだよ

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ライターのじょーです。

発達障害のことにつれて書くようになってから、いろいろな人の考えに触れる機会が多くなってきました。

そこに発達障害の人とそうではない人の理解の壁があることも多いですし、互いに理解しきれていないということもあるなと感じています。

その中で、こういう意見が当事者の中から聞かれることがあります。



自分たちが生きやすくなるように社会の方が変わるべきだ、という人がいます。

自分たちが何を頑張ってもしょうがないんだ、と考えてしまう人がいます。



僕はそういう考えに凄くもやもやしています。言いたいことも気持ちもわかるのですが。

確かに発達障害の人が働くうえで配慮は必要です。そのあたりのことは記事にも書きました。



参考記事

www.story-searcher.com

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社会に改善の余地が多くあるのも事実だと思います。

そうしないと生きていけない人もいるでしょう。

そこにどうアプローチを仕掛けたらいいのかわからない人も当事者の中にはいるでしょう。

切羽詰まっている人もいるでしょう。

そんな人に言いたいのは「行動」しない限り、自分が受け入れられるなんてありえないということです。

普通に生きるのが難しいから、決断しなければいけないことがある。

僕は会社員を4年近く続けてきましたが、うまくいかない日々を過ごしてきました。

人が当たり前にできることができず、その結果周りから思うようには評価されてきませんでした。



参考記事

www.story-searcher.com



本当は周りの人間から受け入れてほしいだけだったんだと思います。

だから自分を殺して、周りに受け入れられるように心がけてきました。

ですが、それは思うような結果を生みませんでした。

それでも「わがまま」だと言われたり、言われたことをきちんとできないと言われ思い悩む日々でした。

自分なりに「できること」を模索していましたが、4年間でその成果が出なかったわけではないのですが、根本から評価を覆すには至りませんでした。



周りからある程度受け入れられ、苦しいことがあっても生きていける。そんな周りの人間の「当たり前」が羨ましくてしょうがありませんでした。

僕には、その周りの当たり前にいくら挑んでもしょうがないのだと突きつけられました。

だからこそ「やりたいこと」に人生を賭けて挑むか、死んだように生きるか好きな方を選ぶしかないのだと気づきました。

「やりたいこと」を仕事にするなんてそんなに簡単じゃないのは承知しています。でも「普通に生きる」のも難しいのも4年間で痛感したことです。



自分の中で有るのか無いのかわからない「できる能力」を信じてそれに人生を賭けるのか。

できない自分なりに社会に庇護を求めて生きるか。

それすらできなければ全てを諦めるか。



無理難題だと思います。割に合わない決断には思えます。

でもそのどれかを選ぶしかないんだと僕は思って最終的にこうしてブログを書いています。





自分の生活を豊かにするのは自分の「行動」を積み重ねるしかない

これは納得しない人がいるであろうことを承知の上で書くのですが。

手を出す場所がどこにあるのかさえ分からない人もいるとは思うのですが。

社会に受け入れられる土台が整っていないことを罵っても、周りから理解が得られないのを理由にふさぎ込んでも。

現実は1㎜も動かないし、周りも助けの手を出しようがないんです。



僕が以前みやもさんにハイパー人生相談をしていただいたときにこんなことを言われたことをすごく覚えています。

「暗いバカは相手にされない、だから明るいバカになれ」


どうしても明るくなれない人に明るくなれとは言えないのかもしれません。

当事者の人の中には、家族ともうまくいかず、友人関係もうまく築けていない人も少なくないと思います。



自分から手を出しても受け入れてもらえないこともあったでしょう。

物凄く罵倒されたことも、もしかしたら殴られそうになるくらい怒られたこともあるでしょう。

「努力」を見てくれる人が必ずいるなんて、きれいごとをいうのはちょっと苦しいです。

でも、行動しない限り努力が認められるなんてことはありえないです。ちょっとくどいですが。

何もしない人が受け入れられるなんてことがないのは発達障害のあるなしにかかわらない話です。

ただその認められることも発達障害じゃない人と比べると難しいのは承知しているので、その意味ではやっぱり割に合わないとも思いますが。


「愛される」努力をしてみよう。

明るいバカというのは言い換えれば愛嬌なのかなと思います。



これ、本当にその通りだなと思うのです。

上手くいかなかったときも「愛嬌」のスキルでうまく切り抜けられたかもしれない場面もありました。

逆に僕なりに人に「助けてもらえる環境」を作ったから、最初の会社で「4年」働くことができたのかなと思う部分もあります。

僕は最終的に誰かに理由を求めるのが苦しかったから、自分で稼いで生きていく方法を模索しようと思いました。

そんな僕も「一人」で生きていくなんてはっきり言って無謀です。

助けてって言わない限り、助けてはくれません。自分で動く意思を見せない限り人は手を出してくれません。

これは一人で活動をし始めて、痛切に思うことです。



僕も全然できていないですし、まだまだだなぁと思うのです。

でも行動しているから助けてもらえます。

話を聞きたいと言ってくれる人もいます。

自分なりに感謝を伝える方法を模索したら感謝の気持ちは拾ってくれます。

まずはその努力だけでもしてみませんか?


社会が変わる努力も必要。でもそれならあなたが変わる努力も必要

結局社会に変わる努力をしろよ! といくら文句を言ってもそれはその人の声は説得力がないんですよ。

なぜならその人の「行動」が伴わないから。

それなら僕も生きる努力をする。だからあなたも僕が生きやすくなるように協力してくれませんか?

と言ったほうが説得力もありますし、手を差し出す人も差し出しやすくなるはずですよ。

僕自身そういう人になろうと日々行動しますし、そういう人がもっと増えてほしいと切実に思っています。



ではでは!