君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

何もしないは悪いこと? 「正しさ」があなたを追い詰めていませんか?

ライターのじょーです。

「迷う」って悪いことだと思いますか?

「何もしない」って悪いことだと思いますか?

どっちかというと悪いことだよね、とかどっちかというと動いている方がいいかなとか、そう考える人が多い気がします。

日々「数字」に追われる営業マンの人も多いかと思います。結果を出せない営業マンに会社として価値はありません。

僕はこの考え方がごもっともだなと思う反面なんとなく腑に落ちない気がしていました。


ブログの運営していても一緒で、アクセス数や報酬にとらわれてしまうこともあります。



それでも敢えて言います。

「何もしないこと」は本当に悪いことなのですか?


「何もできない自分」、「何もしない自分」を否定するのが危険な理由

これ、僕を知っている人からするとあまり同意されないと思うのですが、実は僕は結構な完璧主義者でした。

「自分と周りの人が笑っていてほしい」

こんな青臭い理想を心の中で(割と本気で)思っていました。

別にこの理想そのものが悪かったとは思っていません。ですが、理想からかけ離れた自分を否定してしまっている自分がいました。

僕の場合もっと良くないのは、理想とかけ離れた現実の自分を見るまいとしてしまっていました。ぶっちゃけていえば現実逃避です。

「何もしなかった自分」を否定するのは、「何かをしなければいけない」という思い込みを生み出します。

これこそが危険だと思うんです。

逃げ場がなくなってしまうし、自分の考えていることを自分で否定してしまう。

そうなった先にあるものは楽しい結論には至りません。

僕の場合は、自分で解決策が見つけられないまま、左遷になりました。

鬱になってしまうということもあり得ます。

小さな考え方だと思わず、自分の価値判断の根幹にかかわる考え方ですよ。


価値はあなたが決めるもの。

「何もしない」が無価値って誰が決めたんでしょう?

社会? 会社?周りの人?

違います。あなた自身です。

周りでそう言われていたとしても、その考えを受け入れたのだとしたら、「何もしない自分」を無価値にしたのはあなたです。

あなたが自分の価値を下げているんです。

お金が価値の基準だというならそれもすごいことだと思います。それをあなた自身が決断しているならそれで問題ないと思います。

ただ苦しんでいるとしたら少しだけ立ち止まってみて下さい。



「何もしない」=「無駄」ではないです。

ぼーっとしていても、くだらないことで笑っていても、僕笑顔でいるために必要な時間です。

それで頑張る勇気が出てきたなら、それだって価値あるものなはずです。

自己評価が低いほど、そのことを認めることが難しくなります。だから、「自分を大事にする」ことを意識してみてほしいです。


このブログで書いた「自分と周りのみんなが笑顔になってほしい」という青臭い理想論は捨てていません。
というか、捨てる気がありません。

全世界なんて言うつもりはないですが、自分の目の前にいる人くらいは笑っていてほしい。自分自身も笑っていたい。

でも、少し変わったのは達成できていない自分を批判しなくなったこと。できなかったことよりできるようになったことを考えるようになったこと。

「正しさ」を追及していたら出てこなかった考え方でした。

正義でも綺麗事でも理想論でもありません。そこを目指さないとと僕が寂しいからです

自分に向けて笑いかけてくれる人の数が僕の考える僕の価値です。

恥ずかしいくらい正直に言うとですが。

僕の価値を最大化させるために僕にとって必要なのは一緒に笑いあえる人が増えることです。

お金は大事だし、結果を追求するのも大事なことなのは間違いありません。

ですが、そうじゃないものも「無価値」だと思わずに、楽しくあれば「価値」なんだと思えてもらったらいいなと思います。

ここまで読んでいただいた人にこちらもお勧めです。

頑張りすぎている人たちの心を柔らかくほぐしてくれる本です。

何気ない日常を愛することは自分を大事にすることでもありますよ。



ではでは!