君と僕の物語探検隊

迷えども、前へ。

いっそマインドフルネスなんて知らないほうが楽だったのに

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「正直言うとカス過ぎるんですけど」

 

引越のアルバイトをしていて、責任者であるドライバーに言われたひとことである。かなりストレートだけど、その表現そのものに傷ついたわけではなかった。

 

反論できなかった。悔しかったわけでもなかった。一番傷ついたのは、自分がその言葉に答えるすべを持たないことだった。

 

「いちいち確認しないでほしいし、もっと先を見て動いてほしい。正直3日目くらいの高校生のほうが役に立ちます」

 

ただ感情的になっていて言われたわけではないと思った。苛立ってはいたけど彼は冷静だったし、自分と他の人間についてもきちんと把握したうえでいったことであるのもわかる。

 

「なんでそんなに作業が遅いんですか?」

 

単純に疑問だったのだろう。でも、僕には答えられなかった。彼の疑問に本当なら考えを伝えるべきなのにできなかった。

 

なぜなら全力だったからだ。自分なりの全力を尽くして、最善を尽くしたつもりだったのだ。そして何気ないことだからこそ、解決策がなかったからだ。

 

そんなことを言っても彼が納得するわけはないと思った。それでも下されたのは残酷なジャッジだった。

 

僕は周囲の状況を見るのが苦手だ。そして、同時並行で作業を展開することが苦手だ。それはもう人によっては「全然使えない」と言われるほどに。

 

昔、建築業で働いているときも同じだった。同じようにもっと早くやれとか、周りをよく見ろとか、指示をきちんと理解しろとか、言われていた。

 

いろんなことを試行錯誤した。でも、結果が出るのには約1年かかった。それでも「ちょっとマシになった」に留まるもので、本当に役に立てているとは言えないレベルだった。

 

さらにもっと困るのはこうやって仕事を変えて、覚えなければいけないことがこうやってリセットされるとほぼ1からやり直しとなってしまうことだった。

 

 

 

マインドフルネスという考え方はこういう時にある意味残酷だと思う。

 

「あいつにあんなこと言われたけどまぁいいか」

 

「あいつの言っていることの意味がわからないんだけど」

 

「全力でやってるんだからしょうがないじゃん」

 

それで片づけるほうが楽なのだ。こういうときに誰かに愚痴をこぼしたり、カラオケなんかにいってストレスを発散したりするほうが、はるかに手っ取り早いような気もする。

 

そうやっていた時期もあった。でも、そんな言葉で片づけるのをマインドフルネスは許さない。

 

「いまここにあることに意識を向ける」ということがマインドフルネスの定義であるなら、自分の中のごまかしをするのはマインドフルネスからかけ離れた考え方だから。

 

だけど、僕は今ここで感じていることをわざわざ告白し、分析している。冒頭に書いたように結構傷ついている。

 

ジョン・カバットジンが提唱するストレス軽減法でもなんでも「今の苦しみを楽にしたいんだよね」とか安易な考えでマインドフルネスを実践するのは絶対にやめたほうがいい。それならやらないほうがまだいい。

 

「マインドフルネス」を実践しようとしている人を増やしたいのがこのブログの大切なテーマだし、だからここに書いてあることはある意味で逆説的なことなのかもしれない。でもすごく大事なことだ。

 

嫌なことでも感じていることならまずは真っ向から向き合わなければいけない。それは苦しいし、悲しい。

 

だけど「マインドフルネス」を意識して、こうやって向き合った後だからできることがある。

 

それが「これからどうしたいか」ということだ。

 

冒頭の会話を経て、さらにこのプロセスを経るからこそ、取れる選択肢がある程度決まる。

 

まず彼との関係をどうするか。会社との関係をどうするか。今後良好な関係を維持できるかは正直に言ってわからない。できるなら維持したいけれど、改善のためには人より長い時間がかかってしまうことは過去の経験からわかっている。

 

そして、自分の本業はあくまでライターである。手を抜きたいわけではないが、こちらにかける時間のほうがはるかに重要だ。だから、必要とあれば辞めるということも選択肢に入る。いや、いつか辞めていかなければいけない。

 

このアルバイトは本業がまだ軌道に乗っていないから始めていることだけれど、時給がいい分役に立たなくても、居続けるだけで生活はある程度担保される。

 

現実的には働かなければいけない。でもこのことをずっと続けるのは甘えだ。

 

この甘えが自分を阻害していることに気づいた。冒頭のように必要とされない苦しみを抱えて仕事をし続けるより、書いているほうがはるかに楽しい。

 

4月の繁忙期を過ぎたら、アルバイトを辞めて、独立するために必要なことを考えたいと思うきっかけになった。辛かったけれど、だからこそこの体験には感謝の気持ちもある。どっちも本音だ。

 

マインドフルネスとかアドラーの言葉は、「いま、ここから幸せになれる」という一見甘い言葉に見える。でもそれは「幸せのためには行動し、自分と向き合い戦わなければいけない」という強烈な言葉でもあるということだと思っている。

 

だからマインドフルネスなんて知らないほうが楽だったかもしれないと思う。実際楽ではない。不安もある。でも、こうやって書いているときに、幸せを感じている自分もいる。

 

幸せになるための闘い。嬉しいことも悲しいことも真摯に正直に。そんな物語をこのブログで書いていきたい。

 

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